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浅間山 8月07日 (小諸市乙女湖公園より)
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このブログでは、生き物たちや、自然、歴史など紹介していますが、、専門家ではなく、未熟な愛好家に過ぎません。
狭い地域のことで、日記的な意味合いもあり、同じ内容を何度も繰り返して、マンネリ化していて新鮮味に欠けています。
書いていることは、一応は調べて、掲載していますが、六十の手習い・・・
もう70過ぎていますが、年寄のにわか勉強の結果に過ぎません。間違いがあるかと思います。誤りに気がつきましたら、ご指摘いただけると嬉しく、おおいに感謝です。その内容を記事に反映させたいと思います。
ご意見、ご感想などをコメントをいただけると嬉しく思います。


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2019年07月10日
石の里大谷と宇都宮餃子3 大谷観音(大谷寺)あたり
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高さ27メートルの大谷石の「平和観音」

この平和観音は大谷寺のお前立ち観音だそうです。
またここに戻りますが、昨日の大谷資料館から、この観音様までの道に戻ります。


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大谷景観公園・・・

この公園は旧大谷市民の家跡地に芝生広場等を整備し、観光客の憩いの公園としたそうです。
地底からやってくると開放的です。とはいっても周りは岩壁に取り囲まれています。

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岩壁との裾を姿川が流れ、岩壁を樹々が飾っています。

おたやかな渓谷とそそり立つ岩壁の対比が素敵でした。

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この岸壁の上は通称「御止山(おとめやま)」と呼ばれる江戸時代の日光輪王寺宮様の御用山で松があるために、秋には松茸狩りがおこなわれたそうです。そのため、一般の人の立ち入りは禁止された止め山でした。
「御止山」は松が多く点在するために「陸の松島」とも呼ばれるそうです。

大谷石となる緑色凝灰岩は、2400万年前に海底火山の噴出物ですが、御止山一帯には厚さ300mにわたって堆積しているそうです。ここに露出しているのは、ほんの一部ということになりそうです。

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こんな神社も・・・・

鳥居も祠も大谷石でした。

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坂東十九番札所 天台宗天開山大谷寺・・・

創建年代は不詳ですが、本尊は日本最古の磨崖仏で平安時代作といわれます。また源頼朝によって発願、源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したといわれる、坂東三十三観音札所の19番の霊場となっていることから見ても関東屈指の古刹といえます。

坂東三十三観音は、浅草の浅草寺、鎌倉の長谷寺、群馬の伊香保近くの水澤寺に次いで、私にとって4つ目です。

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大谷石の凝灰岩にはめ込まれたような本堂・・・

これが大谷寺の始まりの伝承では、この辺りは毒蛇がんでいて住民から地獄谷と呼ばれ恐れられていましたが、東国巡錫中の弘法大師空海が仏法により毒蛇を退治し、岩壁に光り輝く千手観音が彫って去ったとか・・・
とです。

中世以降、下野国に勢力を持った名門・宇都宮氏の庇護を受けますが、宇都宮氏がせ歴史の表舞台から去り、寺は衰退しますが、徳川家康の側近として知られ、家康の遺体を久能山から日光山に改葬したことで知られる天台宗の僧・天海の弟子である伝海が住持となり復興しています。

本堂は江戸時代に焼失して再建されたものです。

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境内の石仏・・・

もちろん日本最古のではないですけど・・・
でもこう云う素朴な仏たち、好きなのです。

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五輪塔や石の卒塔婆・・・

松島や山形の山寺などの東北ではよく見ますね。
オッと、ここは東北ではなかったですね。でも近いかな・・・
.。
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大谷寺本尊 国指定重要文化財 千手観音像

本堂内は撮影禁止ですので、パンフレットの写真です。

この摩崖仏は弘法大師の作と伝えられていますが、正確な年代は不明ですが、古くから大谷観音として、信仰されていたそうです。
当初は、岩の彫刻面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表には金箔が押され金色に輝いていたとか・・・
最新の研究では、バ-ミヤン石仏との共通点が見られることから、弘法大師でなく、アフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロ-ドとか・・・
ロマンが広がりますね。
以下、パンフレットのまま・・・
「本尊の千手観音はじめ、脇堂の釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊の合計10躰の石仏は、日本の石像彫刻中、優秀なる技巧を究めたものとして、昭和29年3月に国の特別史跡に、昭和36年6月には、重要文化財に指定されました。西の臼杵磨崖仏(大分県)に対し、東の磨崖仏として知られ、美術的にも優れた貴重な石仏です。」 

IMG縄文
宝物館もありました。

その中に昭和40年4月防災工事中にお堂の下から出土しました。縄文時代の人骨で身長154cm、年令20歳位の男性とか・・・小さく丸めるように、ちょうど母親の胎内にいるように埋葬されています。約11,000年前の縄文時代最古の人骨とか・・・
ここは古くから人々が暮らした里であったようです。

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弁天堂・・・

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御止山の登り口・・・
上まで15分とか・・・

御止山は栃木県では、日光の「華厳の滝」に続いて、自然の大谷石奇岩群と、赤松の織り成す風光明媚な景勝が「陸の松島」として2番目に国の名勝に指定されています。日本遺産「地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮」の構成資産でもあるそうです。

知っていればもう少し時間の余裕をとって朝早い時間に来るようにしたのですが、今回は無理のようです。

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大谷元観音・・・

隣にある銭洗観音は、その前の池でお金を洗うと、何倍にもなって戻ってくるとか・・・
帰ってきて知ったことです。ここは大谷寺とは違う寺の観音堂だそうです。

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大谷平和観音への参道・・・

崖の上の岩は「天狗の投げ石」で天狗が投げた岩がここに止まった・・・
もう天狗の神通力が弱くなって、ワイヤへ-で固定してありました。

落ちたとしても戻せませんし、万が一の時は下の民家に被害が・・・
天狗はいつまでも守ってくれません。

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やさしくほほ笑む大谷平和観音・・・
高さは88尺8寸8分。約27メートル・・・

この「平和観音」は太平洋戦争での戦没者の霊を弔い、世界平和の願いをこめ、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。当時の東京藝術大学教授・飛田朝次郎が彫刻の設計により、その指導のもと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたり6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成、リスト昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われました。

観音様の横に上まで昇れる階段がありますが、もうバスの時間でした。

、観音様の後ろや横の姿を見ることができます。ここからは大谷の町を見渡せ、遠くの山々を眺めることができます。紅葉の季節にはなかなかの絶景です。

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この岩の間を行くと大谷寺・・・
ここを来れば直ぐだったのですが、かなり大回りしました。
それも、この辺りの村の道をまわったので、良かったです。

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左は親子がえる岩・・・

昔、蜂の大軍がこの町に攻めてきたとき、どこからともなく「親子」が現われ、岩肌にしがみつき、蜂の大群と戦い住民を守ったといわれています。それ以来、住民は、カエルに感謝し、今も地守神様としているとか・・・

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大谷石の土蔵・・・

何気なく選んだところでしたが、なかなか見どころのあるところでした。

[ 投稿者:オコジョ at 07:18 | 旅 (地域外) | コメント(0) ]

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