2019年06月30日
かハら道
ひょんなことから昔の航空写真を発見。

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1936年・・・83年前(昭和9年?)

matsuのウチの近くをクローズアップした物です。

畑(田んぼ?)しかない。





現在の地図はこんな感じ。

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ムムム、昔の道が残ってる!




んでは、行ってみましょう。

ちなみに、ウチは地図の右端近くになります。




お地蔵さん?

庚申塔と道標の合体石像発見。
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庚申塔は中国から伝来した道教の石像で江戸時代に流行したようです。

前垂れが邪魔で見えませんが、庚申塔の下は道標です。

ちょっと失礼して前垂れをめくらせて頂きました。

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「かハら道」とあります。

ココはちょうど道が二手に分かれる場所で「こっちがかハら道だよ」と示す道標になっているようです。



それでは現在のかハら道をスタート!

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おぉぉ、クネクネしてる!

いやいや、子供の頃からクネクネしてるのは知っているのですが、この辺の道の中では一番の大先輩だと思うとちょっと感慨深いです。

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最初の航空写真にも写って言いそうな建物


かハら道のおしまい(実こちらがスタート地点)は千葉街道に当たります。

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んで、そこにも庚申&道標がありました。

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少し埋まっているようですが、ペットボトルの後ろには「是よりかハら道」とあります。

軽量ブロックで囲ってしまったので分かりづらいのですが、右側面には両国マデ2里、左側面には市川マデ1里とかかれているそうです。



今回歩いたのはかハら道のほんの一部です。

役所が作った奇妙な地図を見つけたので貼り付けます。

009g

「奇妙な」というのは、現在の地形に過去の道を描いた物なので奇妙なと言わせて頂きました。

当時は、新中川はおろか、荒川放水路も江戸川放水路もないわけで、荒川の中に交差点が存在します。


今回歩いたのは赤丸で囲んだ部分です。

江戸川まで歩いてみようかと思ったのですが、ほとんど昔の道が残っておらず(鹿骨街道に上書きされてしまったようです)、道標は、神社やお寺に移動されてしまっているようです。

道標は、その場所に在ってこそ意味を感じるんですが、都市計画のためにはやむを得ないのでしょうね。



ところで

河原道(かわら道)→かハら道

なぜに「ハ」だけカタカナなんでしょう?

まぁ、いいか



ちなみに河原は、江戸川水門と行徳橋の間に現在もある地名です。

昔は、渡し船で千葉県側に渡っていたので、河原道は「河原の渡し」にでる重要な道であったようです。

ちなみに「河原の渡し」の北に「小岩市川の渡し」がありますが、さらにその北には「下矢切の渡し」「上矢切の渡し」があったようです(現在の矢切の渡しは、下矢切の渡しの場所です)。




なんかやけに長い記事になってしまいましたが、こんな暇つぶしをしている今日この頃です。
[ 投稿者:matsu at 15:35 | Local | コメント(2) | トラックバック(0) ]

この記事へのコメント
私も仕事で使っています
おそらくmatsuさんが見られたのは↓では?
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

仕事で使っています。特に終戦直後の写真はGHQ撮影です。
投稿者: K@京都 at 2019-07-02 09:46:25
K@京都さん>
返信遅くなりまして失礼しました。
そう、そのサイトです。
なるほど、GHQ撮影ですか。
古い写真だと皇居の中とか靖国神社の中が白塗りで消されていたので、日本が国防のために消したのかと思いました。
投稿者: matsu at 2019-07-15 14:21:18

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